先日、江島神社の帰りにお隣の児玉神社にお邪魔しました。江島神社に行ったことはあるけど、児玉神社に行ったことはないという人は多いのではないでしょうか?
実は私も初めての訪問でした。存在はもちろん知っていたのですが、ご祭神が日露戦争の英雄、陸軍大将児玉源太郎氏とのことでしたので、なんとなく怖いのかな・・?という印象がありまして。でもそんなことは杞憂でしたよ。
ふたたび江の島へ・・
前回、児玉神社へお邪魔した際は、すでに携帯の電源がなくなっていたため、改めて写真を撮りに出かけてきました。前日は梅雨の晴れ間の晴天だったのですが、この日も(!)あいにく、午前中は豪雨の予報。当初、相棒のくろと出かける予定だったのですが、当日連絡があり、
・・・・えっ 大丈夫?(もしかして行っちゃだめ系?・・)
雨だし、非常に迷ったのですが、すでに出かける支度をしていたため、そういや横浜駅のCIALがオープンしたばかりだし、バーゲンを見てくるのもいいかな?と思いとりあえず横浜駅へ。
横浜駅に着くと、あらら天気は曇り時々お天気に。せっかくだし、写真だけ取りに行こうと計画を変更し、一路江の島へ。乗り継ぎも恐ろしいほどスムーズに、ほぼ待ち時間なく江の島駅に到着。
この日は日曜日のためか、家族づれや、カップル、加えて謎の外国人が団体観光客が沢山(タイの人?)。弁天橋も混雑していました。特に島の入口から江島神社までの参道が劇混み!コロナで人の渋滞から遠ざかっていたため、新鮮というより、ちょっとうんざり。これは写真を撮って早々に帰らねばとおもいつつ、児玉神社の鳥居をくぐりました。
児玉神社へ -参道は静かな森のよう-
江島弁天の鳥居の脇に、児玉神社への参道があります。鳥居をくぐると、先ほどの喧騒が嘘のようにとっても静か。鳥の鳴き声と木々のざわめきが心地良いです。
木々の間からはキラキラとした湘南の海が見えます。児玉神社は第一の鳥居から全体が見渡せない構造になっているので、初めての人はちょっと入りずらいかもしれません。鳥居の色合いと、苔むした石碑が天気が悪かったりするとちょっと暗い雰囲気に見えるので、ひとりで行くときはお天気の良い日がおすすめですよ。
児玉神社とは
台湾総督をへて日露戦争で日本を勝利に導いた、児玉源太郎(1852~1906年)を祀った神社で、大正10年(1921年)の創建以来、勝運の神として仰がれてきました。
社殿は台湾から贈られたヒノキでつくられており、鳥居の第一人者、伊東忠太博士によるもので、境内には山県有朋の歌碑や爾霊山(203高知)の石などがあります。
ご祭神・児玉源太郎命とは?
御祭神 児玉源太郎命(こだまげんたろうのみこと)
御神験 勝利・英知・福運
例大祭 五月二日
この児玉神社は江の島の風光を愛でてたびたび訪れた児玉源太郎氏の別荘があった場所です。
児玉源太郎氏は山口県の出身です。山口県といえば、安倍首相ですが、以前に「右腕として欲しい人材は?」との記者からの質問に安倍首相は「児玉源太郎」と答えています。
児玉源太郎(明治時代の陸軍軍人・政治家)
1852(嘉永5)年、徳山藩士・児玉家の長男として都濃郡徳山村(現 周南市)で生まれ、徳山藩の藩校「興譲館」で学びました。
明治維新後、フランス式軍事教育を受けた後、大阪兵学寮で学びます。1887(明治20)年、陸軍大学校の校長となり、1891(明治24)年には陸軍参謀長としてヨーロッパへ派遣され、軍事教育を視察しました。
1898(明治31)年、台湾総督に任じられ、2年後に第4次伊藤内閣が発足すると陸軍大臣も兼ねて伊藤博文を支えました。1903(明治36)年、第1次桂内閣で内務大臣・台湾総督・文部大臣を兼任。1904(明治37)年、日露戦争では満州軍総参謀長として陸軍の作戦全般を指揮し、旅順の二百三高地を陥落させますが、帰国7ケ月後の1906(明治39)年7月、急逝しました。
司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」
司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」では、児玉源太郎は、陸軍名参謀、百年に一人の大戦略家として描かれています。乃木希典は愚将として扱われているのに対して、児玉源太郎はピンチの局面を打開したヒーローとして描かれています。
日露戦争で乃木希典大将が攻めあぐねていた二〇三高地を巨大な山砲を持ち込んで攻撃し、わずかの日数で攻略しました。
児玉源太郎の人柄は、先輩にも同僚にも、また大衆にも善く、万人をひきつける魅力を持っていたといわれています。それは、児玉のいや味のない、さっぱりとした人柄のためといわれています。
また、児玉源太郎は大のお酒好きだったそう。このブログにぴったりです。
興味のあるかたは是非、「坂の上の雲」や日本映画の名作「二百三高地」を見てみてださい。
「二百三高地」は最高の反戦映画との評もあります。
マイパワースポット
本殿はこじんまりとしていますが、明るく、すがすがしい雰囲気です。我ながら素敵に撮れたと思います。ただいま改修中のようです。怖い雰囲気は全くありません。むしろ親しみやすい雰囲気です。日露戦争など何も知らない若い女性達が楽しそうにお参りにきていても、にこにこしながら見守っているかんじです。「我々が命がけで戦った甲斐があった。今の日本が平和でなにより。」という感じかな?
こういうご時世ですので、「これからも日本を宜しくお願い致します」とお願いしたところ、「俺にいわないでお前が頑張れ!」と返されたような気がします。仰る通りです。自分がこの国のために何ができるか真剣に考えたところ、一生懸命働いて、税金を納めることぐらいかなと。社内改革や経営者、政治家など、人ために戦いたいという人はパワーをもらえそうです。私事をお願いするというより大儀のためのご祭神のようです。
境内には同じパターンのトラ猫がお昼寝してました。くろ猫は入れないのでしょうか?猫好きにはたまりません。結構、貫禄(いや威厳か?)ある顔です。もっとかわいく撮りたかったのですが、岩合さんじゃないので無理でした。
妄想タイム
滞在時間が短かったので、これという妄想は沸いてきませんでした。児玉源太郎大将の活躍がなければ、日本の一部はロシアに割譲されていた可能性もあり、今のような平和な日本でなかった未来も十分考えられます。ロシア語話してたかもしれませんよね。
私も含めて、今の日本人に自分の国を守るために戦えといわれて、本当に命をかけて戦えるのか?と考えると、昔の日本人は偉かったなと。平和で豊かな日本をこれからも我々は武力ではなく知力で守っていかなければいけないんでしょうね。
ご祭神の名前をお呼びする際、「児玉様」、「神様」どちらかしら?と考えていたところ「大将!」と聞こえました。とにかく、いつでも日本の平和な未来を切に願っていてくれています。
となりにある江島神社は戦勝祈願で北条氏に手厚く庇護された神社。当時の日本が日露戦争に勝利したことは、奇跡といわれているほどロシアとの間に力の差があったといわれています。。児玉源太郎もこの江ノ島のいいしれないパワーに気が付いていたのかもしれません。
江ノ島を訪れた際には、ちょこっと顔を出して挨拶してみてください!
児玉神社へのアクセス
【住 所】
〒251-0036 神奈川県藤沢市江の島1丁目4の3
【交通の御案内】
◎江ノ島電鉄 「江ノ島駅 」 徒歩22分
◎小田急電鉄江ノ島線 「片瀬江ノ島駅 」 徒歩15分
◎湘南モノレール江の島線 「湘南江の島駅」 徒歩22分
◎ 江ノ電バス 「江ノ島」バス停 徒歩5分
※児玉神社は江島神社鳥居の横にあるエスカー乗り場(第一区)脇にあります。
児玉神社(山口県周南市)ゆかりの日本酒 はつもみぢ
児玉神社は江ノ島のほかに、児玉源太郎の生誕地である山口県周南市にもあります。児玉神社はこの周南市飯島町にあり、ちかくには、山口県の地酒を造る創業200年の株式会社はつもみぢがあります。
山口県の素材にこだわった名酒『西都の雫 純米大吟醸原酒35 原田』は令和元酒造年度全国新酒鑑評会で入賞した自慢の一品。児玉源太郎大将も今を生きていたら、絶対飲んでましたね。山口県に行く機会があったら、飲んでみたいですね。
酒蔵ブログ|創業二百年・全量純米酒の日本酒酒蔵 はつもみぢ
株式会社はつもみぢの酒蔵ブログです
鎌倉ビール醸造株式会社
前回と同じように、茅ヶ崎の熊澤酒造さんが、最寄りの?酒蔵です。今回は藤沢駅南口にMOKICHI CRAFTBEERに行く予定でしたが、相棒がこないため断念。また次回に行ってみたいと思います。
せっかくなので、鎌倉ビール醸造株式会社さんが作っている「江の島ビール」をお土産に買いました。江島神社の御神水を使ったビールとのこと。ありがたく頂きました。味わいは苦め?アメリカンスタイルペールエールです。
※熊澤酒造さんは湘南ビールというブランドを販売しています。
鎌倉ビール公式ホームページ | 鎌倉生まれ、鎌倉育ちのクラフトビール
鎌倉ビール醸造株式会社の公式サイト。鎌倉市唯一のビール醸造所でクラフトビールを製造・販売しています。鎌倉ビールを鎌倉観光のお土産に、飲食店でのランチとご一緒に。お中元・暑中見舞いに特別なビールを工場直送にてお届けします。鎌倉推奨品認定。
写真が今一つですが。ラベルがかわいいです!
鎌倉ビールさんのオンラインショップでも購入が可能です。
その後の開運報告
昨日行ってきたので、これといって報告がありませんが、実は児玉神社のあとに横浜駅にもどり、高島屋、そごう、ポルタと一通り、セールを覗きました。
いつもですと無駄遣いをしてしまうのですが、今回はなんと、何も買わずに帰宅。日本の経済には貢献しませんでしたが、我が家の家計のためには良かったと思います。
【参考】
※ 児玉神社公式HP
全部揃えるなら中古がお得!
腰を打って、痛くて歩けない!